病院で受け入れられない理由

さて、病院側が受け入れない理由はニュースなどを見ていると二つある。
(A)リソースから鑑みて症状が重い
(B)リソースから鑑みて症状が軽い

(A)は理解できても(B)はなんでと思う人も居るかもしれない。多分こういうことだろうと推測してみる。

前提条件

基本的に現在の周産期医療のリソースは不足している。なぜなら稼働率が95%ぐらいで経営しなければ赤字になってしまうような制度になっているからだそうだ(http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20081106)。
「医は仁術ではないのか!」などと言う人もいるかもしれない。しかしそういう人には逆に問いたい。経営状況が赤字のままで病院が存続できると思いますか? と。医療を続けるためには赤字経営はマズイのだ。理想で言えば赤字にならないような制度に変えるか、もしくは公立病院などは赤字でも可(赤字分は税金などで補填する)ようにしてリソースに空きを作る必要があるだろう。

で、実際に軽い症状の患者が来た場合…

閑話休題
話を戻します。んでそのような稼動状態であるのでどんな病院でも数人救急が入ってしまうと手一杯になって、その時に処置しているのが片付かないと新たに患者を受け入れることができないという現状があるわけです。

ある病院に救急の受け入れ要請が来たとします。その病院が高次救急や重度の症状の患者を受け入れられる病院だった場合、そこで軽い患者を受け入れて医師等のリソースを使ってしまうと、「その病院でないと処置できないような重い症状の患者」が来ても受け入れられなくなってしまう。そういう患者を受け入れるところは少ないので結果的にどこでも処置が出来ずに亡くなってしまうかもしれない。であれば軽い症状の患者を他の病院で受け入れてもらい、重い症状の患者をその病院で診たほうが地域全体として救える患者が多くなるわけです。

結果としては「別のところに行ってもらえますか」となる。

パターンBにおいて、余裕が沢山あるのであれば受け入れられるでしょう。しかし上記の通り、現在はどこもカツカツで運営しています。ですので次から次に受け入れるわけには行かないんですね。
もしこれでどの病院も余裕がある状態であれば、軽かろうが重かろうが受け入れることは出来るでしょう(必要な設備さえあれば)。つまり今起きているマスコミの言うところの所謂「たらいまわし」は制度が引き起こしている必然です(更に言えば様々な裁判の結果でもある)。病院や医療関係者を責めてもどうにもならない部分が多すぎる。

なんでマスコミはそういう部分を報道しないんでしょうね。

その他に考えるべきこと

リソースの不足という事のほかに考えるべき事がある。なぜ医師たちが万全な状態(必要な科の医師がそろっている。設備が完全に揃っている。)でなければ引き受けないのかという理由だ。
その理由は世論が医療に完璧を求めているからだと思う。
完璧を求めるのは世論だけではなく裁判の結果にも見て取れる。法曹界としては弱者救済のための処置なのかもしれないが、結果として医師から見えれば「完璧で無いのであれば責任を問われる」と見える判決もある。
今までは「自分の専門ではない」「設備が万全ではない」などの状態であっても患者のためにと引き受けていた医師が居たとする。しかし裁判で「専門で無いのに引き受けた医師に責任がある」、「設備が万全で無いのに引き受けたのは重大なミスである」などの結果が出てしまえば、そういった医師たちも引き受けなくなってしまうだろう。
「自分の保身など考えずにヤレ」と言う人も居るかもしれない。でも冷静に考えてみて欲しい。「リソースが十分でなくとも専門じゃなくとも引き受けろ。しかし結果が悪ければ責を問う」というような職業に就きたいと思う人がどれだけ居るだろうか。自らを省みず、人のために医師になる人も居るかもしれない。だが少数だ。今よりも医師数が減る事は明らかである。
我々のような患者側の人間たちの要求によって、今の医師たちは万全でない状況でも引き受けようという判断はしなくなっている。「我々の要求によって」だ。そしてそれを更に責めるという事は更なる医療崩壊を生むことになる。

んで全て整ったとしても……

残念ながら人間は死ぬ。いつか必ず死ぬ。医療体制が整ったって、すぐさま搬送できたって、医師にミスが無くたって、健康な人が急に死ぬ事はあるのだ。
「ミスがなければ死なないはずだ」
なんてただの幻想。
わたしたち非医療従事者はこの当たり前の事をちゃんと認識しておかなければいかんのだ。