『「水からの伝言」は科学を自称していないから疑似科学ではない?』におけるtitton さん意見のまとめと質問。

『「水からの伝言」は科学を自称していないから疑似科学ではない?』( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119 )で書いたまとめと質問をこっちにも採録
id:titton さんが答えていただけると、どんな趣旨での発言だったのかがもうすこしわかるのだけど、まぁ相手にしてみれば特に利益は無いので答えはもらえないかも知れないとすでに半ば諦め気味。

引用:


titton さんの意見をまとめてしました。

(1)「水からの伝言(以下水伝と記載)」は(少なくとも最近の水伝は)科学を自称していない。科学でないと明言さえしている。
(2)疑似科学なのかただの宗教なのかはその主張の中核部分がどこにあるかを見て判断しなければならない。(
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232365702
(3)Natromさんの発言『「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は、水伝の本質的な部分だと私は思います。』には同意する。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082
(4)疑似科学批判は「科学的な疑似科学批判」と「政治的な疑似科学批判」の2つの側面がある。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082
(4−a)科学的な疑似科学批判
その疑似科学について科学的に見た場合どのような点に誤りや不備があるかのみを指摘する。実験方法に問題があるとか、検証が不十分だとか、再現性がないとか、見落としている点があるとか、理論の組み立てに誤りがあるとか。あくまで不備の指摘のみでありそれらについて価値判断は一切行わない。デタラメな実験や未検証な段階で一般大衆に公表するのは「よくない」とか、まっとうな科学にとって「迷惑だ」とか、そういう価値判断の伴う批判は避ける。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082
(4−b)政治的な疑似科学批判
社会にとって有益か有害かという価値判断を行い、有害なものを排除するための批判。このような疑似科学が社会にはびこると社会にとってマイナスであるとか、人々が科学的な考え方ができなくなって科学の衰退を招くとか、創造科学に授業時間を取られると科学教育に当てられる時間が減り教育水準が下がるとか。こういった「どうすればよりよい社会になるか」と言う視点からの批判。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082
(5)政治的な批判であれば「科学的に間違っている説を流布するのはけしからん」「科学を装っているのはけしからん」という単純な判断ではダメ。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082
(6)疑似科学批判の実態は「人々が疑似科学にハマるのを防ぐ」と述べているように、政治的な目的で行われている。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232625517

引用:


titton さん、質問をしてもよろしいでしょうか。
いかに書く括弧書きの数字は「http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232625517」で書かせていただいた内容に対応しています。

【質問1】
titton さんの意見(1)に関してはすでに反論がNatromさんからあがっております。確かに「科学ではない」という言説も著者が行っていますが、本の内容が書き換えられたわけでも関連会社のサイトでも記載も変わっていません。科学を標榜していると言えるのではないかと思えます。
「水伝は科学を自称していない」はまだ持論としてお持ちでしょうか。それとも撤回されますでしょうか。

【質問2】
titton さんの意見(2)と(3)に関して。「氷の結晶が変わる」の主張は水伝の本質的な部分であり「間違っているかどうか」を科学的に検証可能な命題です。この命題に関して(水伝全般ではなくこの命題に関して)科学的手法や理論で成否を判断する事に関してはどのように判断されますでしょうか。

【質問3】
科学的に検証可能な命題を本質に持ち、またその命題が間違っていると科学的な検証の結果判断された場合。間違っていることが指摘されてもなお訂正する事無く同じ主張を続けるものは「疑似科学」でしょうか。ただの宗教なのでしょうか。

【質問4】
疑似科学を批判する場合に(4−a)だけではなく(4−b)も行う必要がありますか? またそれはどういった理由ですか。
(「必要か?」が質問内容です。ベターかどうかじゃなくてマストかどうか。)

【質問5】
疑似科学批判の実態が「人々が疑似科学にハマるのを防ぐ」ためだったとして(4−a)だけではなく(4−b)も行う必要がありますか? またそれはどういった理由ですか。
(「必要か?」が質問内容です。ベターかどうかじゃなくてマストかどうか。)

【質問6】
水伝の批判は様々な確度から行われており、「水伝が嘘である事により社会においてどのように有害か」ということも指摘されています( http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/class.html#2 )。このような科学的な面からも社会的な面からも指摘があれば問題ないとお考えですか。

【質問7】
(5)に関してですが「科学的に間違っている説を科学的に正しいと偽って流布すること」は騙される人を作ることになります。刑事罰を与えるほどの罪ではないかもしれませんが、一般的にこの社会で多くの人が共有している倫理観としてはそのような詐称は悪とされます。また科学者に対しての冒涜でもあります。それでもそのような批判は「ダメ」なのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232630358

追記

誤字があるのに気がついた。質問2において
誤:科学的手法や理論で成否を判断する事に関してはどのように判断されますでしょうか。
正:科学的手法や理論で正否を判断する事に関してはどのように判断されますでしょうか。