水伝批判批判へのレス
水伝批判における批判対象とは…
引用:
しかしたとえ同じ人間が行っていようとも、宗教面とオカルトグッズビジネス面は分けて批判すべきだといっている。同じ事は何度も書いてると思うけどね。読んでないのかこの程度の複雑さにもあなたの思考力が耐えられないのか知らないが。
うんうん。そうだね。何度も書いてるね。で「誰がそういう*1批判を、どこで、どのようにしてるのか具体的に示して」って言われてたよね。
まぁそれはともかく、「水伝批判はいったい何を批判しているのか」を明確にしておくことは今後にとって有益かもと思い以下にまとめます。
まず水伝にまつわる事をざっくりと列挙します。
- A)水は示された言葉によって結晶の形を変える
- B)IHMでは水伝で主張されているAが科学的実験結果と言い高価な波動関連機器も売っている
- C)感謝の心を大切にしよう、悪い言葉は使わないようにしよう
- D)水伝で主張されるAを科学的に実証されているものとして「AなのでC」という流れで小学校の授業で使う
大抵のニセ科学批判者のロジックはこう。
Aは間違いである。よって……
- Bに関して:虚偽を元に商品を販売している事になる
- Dに関して:「AなのでC」という授業方法はA自体が妥当ではないので問題がある
「水伝を宗教として信じたい人*2」や「宗教としての水伝」を批判している人は残念ながら知りません。ニセ科学批判者が情報発信の対象としているのは「水伝に書いてある内容が“科学的に正しいと立証されている”と誤解してしまう可能性のある人/誤解している人」です*3。そして発信している内容は「水伝で書いてあることが科学的には間違ってる」。科学的な評価は本的にはここまでだ。
それに付随して「“科学的に間違っているのが判明している事柄”を“科学的に正しいと偽って”商売したり“科学的に正しいという前提で”授業に使うのはまずいよね」と言っている。これは一般的な道徳やら社会通念としての批判だよね。「綺麗な言葉を使いましょう」って主張をするのが問題ないのであれば「嘘をつくのをやめましょう」も問題ないよね。
そういう商売や授業*4が問題ないと考える人も居るかもしれないけれど、「批判するな」ではなくて、相手の個々の主張に対して反論をすればよい。そしてそういったニセ科学への批判は個々の事例で内容が違い、そうなれば当然反論内容も個々の事例によって違う。それなのに十把一絡げに反論しようとするので具体性にかけるのだよね*5。
水伝の内容を検証する行為の検証箇所が宗教の根幹部分であったとしても、それは学問として聖書に書いてある内容がどこまで史実に沿っており、どこからが創作なのかを検証するのと同じ事で非難されることではない。科学で検証可能な事を検証している限りは。もしもこういった経典の内容を検証する行為が非難されるものであるというのなら、(論理的にとか道徳的にとか倫理的にとか社会通念上とか)理由を述べるべきなのだけど「宗教だから非難するのダメ」と繰り返すばかりなのでもうなんかアレですね。
あ、批判することが弾圧だからダメなんだっけ? じゃニセ科学批判批判も弾圧だからダメですね。
またこんな書き込みもありました。
引用:
まあ、菊池さんにしてもapjさんにしても、社会的な価値観に関する議論はへたって事だな。それは科学的な手法では白黒を導き出せないものだから。たとえていうなら臓器移植脳死判定に関する議論のようなもの。疑似科学にまつわる議論というのは、脳死判定問題のように倫理と理論の接点に存在する問題なので、どろくさい議論の積み重ねでぼんやりと姿が見えてくるものだ。しかも見えてきた姿が正しい保証もない。時代が変われば「正しい姿」も変わっていく。
そういう問題に「科学的に正しいか否か」「科学を装うのは悪である」という一本調子な主張で押し通すのはとうてい適切なアプローチではない。
http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=15&summary=on 130.titton 2009/01/30 04:34
上でも記述したようにニセ科学批判者が科学的な手法を用いているのは、「科学的に立証されている」とされる内容が本当なのかを確認するところまで。それ以降は道徳や倫理的な問題として「嘘つくのはいかん」とか「効果があるという何も根拠はないから買わんほうがいい」といっているのだよね。裁判において証拠を科学的に検証して、その結果は判決に関わることもあるけれど、それは科学的に判決を決めているのではない。それと同じで「その主張が嘘かどうか」を確認するのに科学的かどうかという判断をしているだけで、そこから導かれる議論に科学を用いていない。「科学的だ」という主張が本当かどうかを確認するためには「科学的に正しいか否か」を確認する以外に方法がない。だから「一本調子な主張で押し通すのはとうてい適切なアプローチではない。」というのは明後日の方向の批判。
ニセ科学批判の動機に関して
引用:
実はこういう言質を「"エセ"疑似科学批判者」から聞きたかったんだよ。社会にとってどうするのが正しいのか?について深く考えることなしに、自分の直感や感情の赴くままに疑似科学批判をしている人間が多い、というのが俺のそもそもの主張だからね。
自分の直感や感情だけに頼った社会運動ほど社会にとって有害ななものはない。社会運動は慎重に行われるべき。
動機が問題である→だからニセ科学批判はダメだ、と。しかし水伝は主張のロジックは嘘でも構わなかったんだよね、その宗教的本質である「感謝の心は大切に」とか「綺麗な言葉を使いましょう」は正しいから。そして水伝での主張だって動機は科学的根拠がなくなった以上ただの感情が動機であると判断できる。つまり水伝の著者の活動も感情の赴くままに行われている社会運動だよね。
そもそも動機がどうであれ議論をする上で重要なのはその主張の妥当性。
ニセ科学批判は弾圧?
引用:
しかしあなたは既に自分の思想「疑似科学がはびこるのは社会にとってマイナスである」を喧伝し、それに基づいて自分とは異なる思想「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」を弾圧し社会から排除しようとしているのだよ。それに気づいていない。
だとすると水伝は「汚い言葉を使うことは社会にとってプラス*6」を弾圧してますね。この論法に従うと全ての意見表明は別意見の人に対する弾圧。普通こういうのは弾圧といわない。意見の相違というのだ。
センセーショナルでネガティブイメージのあるレッテルを貼っただけであり、そのレッテルの貼り方は全ての意見に対して張れてしまう方法。
キリスト教がオカルトグッズ作ったら疑似科学?
引用:
もし本当にそんなことがあったとして、どういう風に売っているか主張しているかで変わります。
- 死後神の世界に必ずいけます
- 科学では検証不可能なため対象外。つまり免罪符とかお守りとかはここに属する。
- 死後神の世界に必ずいけます。○○○の実験で科学的に実証済み。
- 科学的な検証不可能な事を実証済みといっているため「○○○の実験」はニセ科学実験でありそのグッズはニセ科学を元にしたグッズ*7。
- 一年以内に必ずジャンボ宝くじの1等があたります
- 科学的な検証可能。間違っている場合は単に詐欺。
- 一年以内に必ずジャンボ宝くじの1等があたります。○○○の実験で科学的に実証済み
- 科学的な検証可能。実験が妥当ではないのであれば「○○○の実験」はニセ科学実験でありそのグッズもニセ科学を元にしたグッズ*8。
でキリスト教のある一派が会社を設立してそういうグッズを売っており、かつニセ科学グッズだったら「その一派はニセ科学を主張する一派」という扱いになる。キリスト教が一枚岩の宗教であれば「キリスト教はニセ科学を主張する宗教」という扱いですね。宗教でなくなるわけでは当然なくって。宗教がニセ科学をやっているというだけの話。
「キリスト教が疑似科学」っていう言い方が何を指すのか微妙ですが「キリスト教がニセ科学を主張する宗教」という意味合いであれば「場合によってはなり得る」ですね。
それと同じで「水伝の主張している実験がニセ科学」と言っているのだよね。誰も「感謝の気持ちを大切に」はニセだの何だの言ってないし「著者がニセ科学」とか「出版社がニセ科学」とは言ってない。もしも水伝に書いてある内容の全て(感謝しなさいだの綺麗な言葉云々を含め)を「ニセ科学」と言っているニセ科学批判者がいるとすればそれは指摘したほうがいいと思う。もNatromさんとかそんなこと言ってたっけ?
*1:宗教面とオカルトグッズビジネス面が混在した批判
*2:書いてあることが正しいかどうかは関係なく信じていたい人を指す
*4:「そういう商売や授業」とは科学的に間違っていることを正しいと偽って行う商売や授業を指す。
*5:Natromさんところで「ゲーム脳は必要な嘘だった」みたいな書き込みもしてたけど、理由が「そのおかげで議論が始まった」とか実際の研究を知らない適当な発言。それに議論になったということは「アレ嘘でしょ」っていう突込みがあったからであって、その点ではニセ科学批判は必要。なければ議論にならずにおしまいでしょ。
*6:嘘やニセ科学が役に立つことがあるのと同じように汚い言葉だって役に立つことがあるからね。
*7:当然何らかの発展の結果、死後の世界が検証可能になっていれば問題ないですけどね